Gレコの時系列について

去る8/28の秋葉原ガンダムカフェで行われた「夜のGレコ研究会」で監督が発言した一言がGレコに関する物語において非常に衝撃的なものだったのでメモを残す。とはいいつつ、時間もそれなりに経ってしまってから起こしたものなので自分なりに都合よく解釈してしまっている部分が多分に含まれると思う。そこを了承した上で見て頂ければと思う。発言の詳細については下記リンク先を参照頂ければと思う。


夜のGレコ研究会〜富野由悠季編〜「∀は宇宙世紀から500年後」発言について|inuyo blog

ポイントはGレコはターンAの物語の後の物語として(監督自身は)制作されたとの事。具体的な年数よりも重要なのは先に位置するのか後に位置するのかという部分。


納得できる部分



・「脱・ガンダム」というコンセプト
そもそも「脱・ガンダム」というコンセプトにも関わらずターンAの前の時系列の前に組み込み 全てはターンAの物語に帰着するとした上で達成できるコンセプトなのだろうか?という疑問。だが、これは物語の構造的なもので、商業的な理由も相まってストーリー的にはガンダムの時系列に組み込まれ ガンダムの名称を冠したと私自身は勝手に解釈していた。
・当初、ターンBと呼称されていた点
「Gのレコンラジオ」の第2回時の小形Pの発言。聞いた当初はターンAの後の次ガンダムという意味 で付けられた仮称だと思っていた。だが、今となってた「ターンAの後の次の物語」という意味を示唆していたのではないかとも取れる。
・初期の設定時には「ガンダム」という名称はなかったが「ミノフスキー粒子」などガンダムの世界観を彷彿させる設定が含まれていたという点
これも「Gのレコンラジオ」で語られていた内容。ガンダムの名を冠した一つの要因だとも語っていた。 だが、これがターンAの後の物語であれば、ガンダムではないにも関わらず世界観を一部引きずったものであったかも頷ける気がする。
・描かれている新しい技術体系
発言が飛び出した際に監督の説明の発言より。一つ前の言葉に反する様だが、主たるエネルギー資源や太陽系の内側に人類の生活圏を伸ばした理由は かつてのガンダムの技術体系では説明できないものだからこそとの発言であった。既存のガンダムの延長線上の技術体系では説明しづらいものであるのは確かであるように思う。
・時代背景を意識してデザインを行っていなかったという吉田健一氏の発言

ぼくは最初から時系列でデザインを考えてませんよ。 「Gレコ」というオリジナル作品のデザインとしてしか考えてなかった。

この発言が飛び出した際に吉田氏がtwitter上で発言した一言。つまりデザイナー自身が前でも後ろでもどっちでも問題ないと 太鼓判を押したものだと解釈した。

疑問点


・ターンAの500年後位を想像した世界
との事だが、Gレコの物語はリギルドセンチュリー(R.C.)1014年。単純に発言を額面通りに受け取るとターンAはR.C.500年位の物語となってしまう。だが、そもそもターンAの世界観はコレクトセンチュリー(C.C.)という世紀で あったので辻褄が合わない。
・ユニバーサルセンチュリー(U.C.)後の世界が曖昧
なんとなくの印象で申し訳ないのだが監督の発言のニュアンス的にはガンダムの世界観、それこそターンAまで包括されたものを 一つの世界観としU.C.と呼称していたのではないかと。 サンライズのプロモーション的なものはガンダムの世界観をキチっと踏襲したものである為に微妙な違和感があった気がしないでもない。

結論


この発言が出た際に黒歴史という概念の説明の一部


「そんなのは、あのターンAの時代の黒歴史でしかなくて」


多分、ここが一番のポイントなんだと思う。ターンAはそれ以前を包括し、そこで完結したという事なんだと思う。今後全てがここに帰着しなければならないという事ではないのだろう。


僕が素晴らしいなと思うのは、どのガンダム作品においても歴史の最後にはターンエーという巨大な壁が立ちふさがっていたのが今日、今さっきドバーっと決壊してまた終わりがなくなったことです。


監督のプロレス的発言だったり、発言撤回があったとしても、もうイメージが自由なのは変わらないので、ターンエー後を作るハードルは下がってしまいましたしすでに楽しさは広がってるように思うんですよ。


この発言を受けて形部一平氏のtwitter上の発言の一部。この発言で概念が取り払われた事が大事。具体的な年数に齟齬などはあるが、監督自身はGレコが後の物語であるという事だと思う。事実、年表については自身に決定権は無いとし、ファン、及びサンライズで決めて貰えればとも発言している。ただ、その際には自分の意図を汲み取った形でGレコの物語を置いて頂ければとも発言していた。