Gレコの評価に見え隠れするライトノベルアニメとの違い

※以下の内容はテスト様に過去のものを再掲したものです。
Gレコの評価を見てると絶賛している自分みたいな者の傍らで「話が噛み合っていない」とか「会話が飛ぶ」みたいな理由でよくわからないとの評価を見かける。この評価の違いは何なのだろうと少し考えてみた。その結果、自分の中での「ラノベと文芸の違い」にかなり近いものがあてはなるのではないかと思い、以下に整理してみた。

文芸作品とラノベの括りは曖昧だけど、個人的に思ってるラノベの大きな特徴って「ストーリーラインを会話ベースで進行する」事だと思ってる。なので説明役のキャラクターの配置や、主人公がやたら賢しかったりする少々のお約束事があり、読者もそれを暗黙の了解として受け止めていると思う。

それはアニメになっても基本同じ。けど、尺の関係から会話の分量が制限されるので、その情報の取捨選択と演出で補填する技法と割合でデキの良し悪しの評価が分かれていると思う。

一方、文芸作品は会話よりも情景描写や心理描写の構成要素が多くストーリーの進行を会話に依存しない。言葉と言葉の間に心理描写や情景描写を挟むので話としては崩れないけど、その会話だけを取り出して繋げると全く噛み合わなくなるものもある。
Gレコで言われる「話が噛み合ってない」というのは多分、この違いに近いものがあると考えている。

富野作品の特徴としてよく言われる「一場面における情報量の多さ」というのは文芸作品における情景描写や心理描写にあたるものなのではないかと。キャラクターの会話を追ってラノベ的なアニメを観てきた人にはこの文芸的な手法に慣れていないのでは無いかと思う。

今のアニメの主軸となっている「ラノベのアニメ化作品」が主流となっている現在では知らずのうちに視聴者の視点が固定され画一化さてたきた部分があったのではないか。どちらの表現が優れているという話では無いのだけれども、この画面から読み取る情報量の違いというのを少し意識すれば「良くわからない」と評する人も作品を理解するとっかかりを見出せるのではないかと思う。