tumblrからbloggerへ...
文章書くだけならいざ知らず、写真やリンクの埋め込みを併用する場合、tumblrは色々めんどくさいなって。
むしろどちらかというと写真やリンクを主体にコメント付けていくのがtumblrなのかな?
という事でこの記事より下の記事は移行してきた記事です。
手作業で強引に移行したので一部、tumblrのリンクだったりします。といっても殆ど無いのですが...
追々、使い方の勉強がてらに弄るかとは思います。
とりあえず
Nextbit Robin 約2ヶ月レビュー
スペックのおさらい
こちらのサイトでスペックとファーストインプレッションを綺麗に纏められているので、そちらを参考に。
Nextbit Robin レビュー: オシャレデザインで高スペックな素敵端末です
http://gadgenno.blogspot.jp/2016/03/nextbit-robin-review.html
自分の印象もほぼ同様。因みに同じ Kickstarter の backer(出資者)だが、スタンダードな Mint カラーを選択。
RAMが3GBになっている以外は Nexus5X とかなり似たスペックとなる。
Nexus5X
http://www.google.com/intl/ja_jp/nexus/5x/
OSについて
到着当初は Android6.0、4月の下旬に 6.0.1 へ更新された。その他、不具合修正、セキュリティアップデートと端末を開封してから3度のアップデートが入った。Nexus を除くとOSのアップデート頻度は他メーカのAndroid機よりも格段に早く、こまめに来てる印象がある。
この端末の特徴の一つにOSの設定、アプリケーションを独自のクラウドストレージへと連携する機能がある。そこで懸念されるのはデータ通信量の肥大化だと思うが、これは「Wifi接続時、且つ、充電が行われている時」といった設定が可能なので、不必要に通信量を圧迫することはない。
クラウドストレージとの連携についてはjugglyさんが色々検証されてるのでそちらを参考にして貰えればと。
Nextbit Robinのクラウドストレージ連携機能「Smart Storage」の動作や有用性を検証
http://juggly.cn/archives/184748.html
デフォルトのランチャーはインストールアプリの一覧がデフォルトとなる。そこでスワイプインすることでウィジェット画面の起動となる。正直、ウィジェットを使ってる人は使いづらいと思う。iOS でアプリ一覧を見慣れている人はそう違和感はかんじないかもしれない。もっともランチャーアプリを差し替えられるのが Android なので、使いづらければ自分に合うランチャーにとっとと差し替えてしまって問題無い。
Robin はカスタムROMの差し替え等を行ってもサポートが失効することはないとのことなので、OSを弄って遊ぶ端末としても扱い易いとは思う。
カメラについて
日本メーカーのモルフォの技術が採用されている Robin のカメラだが、Andrtoid6.0 の段階ではシャッターボタンを押してから実際にシャッターが切られるまでのタイムラグが長く、使い物にならないレベルだった。海外のレビューでもこの部分の指摘は多く、サポートフォーラムでも話題に上がっていた。Nextbit 側もこの問題は認識しており、これは 6.0.1 のアップデート時に劇的に改善された。
アップデート前後のシャッタースピード比較動画(公式)Thanks for tuning into our #RobinUpdate! Here's a comparison of the new updated camera speed. #RobinCam pic.twitter.com/zrKLR4V7W7— Nextbit (@nextbitsys) 2016年3月30日
設定はシンプルな AUTO と MANUAL モードがあり、カメラに拘りがなければ過不足なさそうな印象。但し、設定は記憶されずカメラ起動都度に設定しなおさなければいけないのは少々手間かもしれない。
起動は 6.0.1 にアップデートされてからは電源ボタンをダブルクリックで即時起動できるようになったので、端末スリープ時からの撮影もかなりレスポンス良くなった。
バッテリーについて
バッテリー容量は2680mAh。USB Type-C の QuickCharge2.0 対応。
正直、バッテリー持ちはあまり良くない。6.0.1 アップデートでスリープ時の放電こそ大幅に改善されたが、その他については気持ち程度。そもそも容量自体が少ない。
しかし、QuickCharge 2.0 の給電スピードは凄まじく、対応する機器を使えば、残り数%でも90分程度で満充電までもっていける。このお陰でバッテリー持ちの悪さもカバーできている。モバイルバッテリーを常備するのが苦でなければ致命的な問題にはならないかもしれない。
総括 ーおすすめできるのか?ー
カメラのダブルクリック起動は 6.0.1 の機能だし、高速充電も QuickCharge 2.0 の仕様なわけで、これらの機能については Nexus5X でも実装されているものであり、機能的には大差ないという結論になってしまう。クラウド連携も直接的な恩恵を感じる事は殆ど無い。この端末の最大の場合のポイントは、デザインと3GBのRAMにどれだけの価値を見いだせるかだと思う。
現段階ではサポートや情報収集は Nextbit のフォーラムが中心となり、英語で行うことになる。
SIMフリーの Nexus5X の価格が下がってきている今、より高い金額で、輸入してまで手に入れたいかどうか。
もっとも、これを書いている時点で 1shopMbile や 米国Amazon でセールをしているそうなので、金額的な部分については Nexus5X と大差なくなってきているかもしれない。
劇場50分アニメは満足度が低いという話
一つは『傷物語〈Ⅰ鉄血篇〉』、もう一つは『ガラスの花と壊す世界』。
両作品とも50分と短く、その尺が原因で満足度が低くなってしまった。
もしくは原作の良さを殺してしまったのではないかと感じた。
『傷物語〈Ⅰ鉄血篇〉』の印象
「傷物語」公式サイト - 〈物語〉シリーズ
『傷物語〈Ⅰ鉄血篇〉』は元々1本の原作を分割する形。
”起承転結”で表すならば"起"及び"承"の部分のみという事だ。
そのおかげで「さぁ、ここから!」っていう部分で終わってしまう。
続きの公開が1週間後とかであればまだしも半年以上も先。
原作も読んでいない。1回観ただけで強く印象に残って無ければ忘れてしまう位の月日が経つ。
3部作をトータルで270分の作品と考えれば、120分1本に収めるより原作をより深く事ができるかもしれない。
でも、それが分割され、単一の作品として観た場合はボリュームに不満が残る。
『ガラスの花と壊す世界』の印象
劇場版アニメ『ガラスの花と壊す世界』Official site
『ガラスの花と壊す世界』はポニーキャニオン主催の「「アニメ化大賞」なる企画から立ち上がったもの…らしい。
「アニメ化大賞」大賞作品が「ガラスの花と壊す世界」として2015年劇場公開予定 - GIGAZINE
上記の記事によると「創作ユニット「Physics Point」によるシナリオ&イラストレーション作品」とあるので、原作が先に一つのメディアで完成しているわけではなく、このアニメの為の原案をブラッシュアップして映画化された作品なのだろう。
細かい内容には触れないが”起承転結”でいうと”起”と”転”と”結”のみで”承”の部分が殆ど割愛されている、もしくはダイジェスト化されている印象だった。
先にも説明した様に、この企画の為のオリジナル作品なので、キャラクターや世界観が前段としてあるわけでもなく、それを理解させつつ出会いと別れの物語をやるにはあまりにも短い尺だと感じた。上映終了後に他の客の反応を伺っても首を傾げている人が多かったので、この感覚は自分が感じた特有のものではないと思う。
なぜ50分という尺なのか
何故、近年この50分という尺のアニメ映画が多いのかを考えてみる。- 1.元々はOVA作品だった
- OVAの作品がパッケージの前にプロモーションも含めて劇場公開をおこなっているケース。 プロモーション目的もあるのだろうが、OVAのセルだけではなく劇場公開を行う事での収益が見込めるようになったのは良い事だろうと思う。
- 2.上映期間が2週間という期間限定
- シネコンが増え、劇場が増えた事により。スクリーンに比較的余裕ができ、大作と大作の隙間を埋めるようにスポットで上映する事ができるようになった為。 これが直接的な要因ではないが、以下に挙げる理由を併せて考えると要因の一つなのではないかと思う。
- 3.上映回数を増やして回転率を上げる
- アニメ映画はよく「第x週の来場者特典」として固定客のリピート率を上げる施策を行っている。 それにマッチさせる為に、より細かい時間で観客が来やすい時間を多く作る為の方策の一つなのではないだろうか。
- 4.資金調達の関係
- 簡単に言うと自転車操業。劇場アニメを100分を越えるフルボリュームでは資金調達が難しいが 分割にして公開する事で途中、途中で収益が出るようになる。また、集客の実績ができる為に、スポンサーへのアピールがしやすい。もしくはそういう事を見越した上でのスポンサードの条件になっているケース。
50分という尺では満足度は得られないのか?
結論としては難しいができないわけではないと思う。同じ50分という枠で全5章(当初は4章の予定だった)となる『コードギアス 亡国のアキト』は1章の中に"起承転結"があり、サンライズらしくCGで描かれたロボットの殺陣も十分なボリュームとクオリティを用意している。とはいえ、ストーリーの駆け足な感じは否めないし、「やはり少し短いな」とも感じる。
個人的には50分という尺であるならば、ストーリー性等を排除し、アトラクション的なノリで50分間観客を振り回すだけのほうが効果的なのではないかと思う。イメージ的には少し昔に話題となった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』等がイメージに近いだろうか。観客を振り回し、疲れさせ「50分でもう十分だ!」と思わせるものであれば良いのだ。
劇場に足を運び決して安くない金額を払って鑑賞するプレミアム感は、劇場の設備だけではなく、作品の質も大きな要因となる。映画のボリュームもその一つの大きな要因であると思う。事情は察するが、観客の満足度にももう少し目を向けて貰えればと思う。
Gレコの時系列について
去る8/28の秋葉原ガンダムカフェで行われた「夜のGレコ研究会」で監督が発言した一言がGレコに関する物語において非常に衝撃的なものだったのでメモを残す。とはいいつつ、時間もそれなりに経ってしまってから起こしたものなので自分なりに都合よく解釈してしまっている部分が多分に含まれると思う。そこを了承した上で見て頂ければと思う。発言の詳細については下記リンク先を参照頂ければと思う。
夜のGレコ研究会〜富野由悠季編〜「∀は宇宙世紀から500年後」発言について|inuyo blog
ポイントはGレコはターンAの物語の後の物語として(監督自身は)制作されたとの事。具体的な年数よりも重要なのは先に位置するのか後に位置するのかという部分。
納得できる部分
- ・「脱・ガンダム」というコンセプト
- そもそも「脱・ガンダム」というコンセプトにも関わらずターンAの前の時系列の前に組み込み 全てはターンAの物語に帰着するとした上で達成できるコンセプトなのだろうか?という疑問。だが、これは物語の構造的なもので、商業的な理由も相まってストーリー的にはガンダムの時系列に組み込まれ ガンダムの名称を冠したと私自身は勝手に解釈していた。
- ・当初、ターンBと呼称されていた点
- 「Gのレコンラジオ」の第2回時の小形Pの発言。聞いた当初はターンAの後の次ガンダムという意味 で付けられた仮称だと思っていた。だが、今となってた「ターンAの後の次の物語」という意味を示唆していたのではないかとも取れる。
- ・初期の設定時には「ガンダム」という名称はなかったが「ミノフスキー粒子」などガンダムの世界観を彷彿させる設定が含まれていたという点
- これも「Gのレコンラジオ」で語られていた内容。ガンダムの名を冠した一つの要因だとも語っていた。 だが、これがターンAの後の物語であれば、ガンダムではないにも関わらず世界観を一部引きずったものであったかも頷ける気がする。
- ・描かれている新しい技術体系
- 発言が飛び出した際に監督の説明の発言より。一つ前の言葉に反する様だが、主たるエネルギー資源や太陽系の内側に人類の生活圏を伸ばした理由は かつてのガンダムの技術体系では説明できないものだからこそとの発言であった。既存のガンダムの延長線上の技術体系では説明しづらいものであるのは確かであるように思う。
- ・時代背景を意識してデザインを行っていなかったという吉田健一氏の発言
-
この発言が飛び出した際に吉田氏がtwitter上で発言した一言。つまりデザイナー自身が前でも後ろでもどっちでも問題ないと 太鼓判を押したものだと解釈した。ぼくは最初から時系列でデザインを考えてませんよ。 「Gレコ」というオリジナル作品のデザインとしてしか考えてなかった。
疑問点
- ・ターンAの500年後位を想像した世界
- との事だが、Gレコの物語はリギルドセンチュリー(R.C.)1014年。単純に発言を額面通りに受け取るとターンAはR.C.500年位の物語となってしまう。だが、そもそもターンAの世界観はコレクトセンチュリー(C.C.)という世紀で あったので辻褄が合わない。
- ・ユニバーサルセンチュリー(U.C.)後の世界が曖昧
- なんとなくの印象で申し訳ないのだが監督の発言のニュアンス的にはガンダムの世界観、それこそターンAまで包括されたものを 一つの世界観としU.C.と呼称していたのではないかと。 サンライズのプロモーション的なものはガンダムの世界観をキチっと踏襲したものである為に微妙な違和感があった気がしないでもない。
結論
この発言が出た際に黒歴史という概念の説明の一部
「そんなのは、あのターンAの時代の黒歴史でしかなくて」
多分、ここが一番のポイントなんだと思う。ターンAはそれ以前を包括し、そこで完結したという事なんだと思う。今後全てがここに帰着しなければならないという事ではないのだろう。
僕が素晴らしいなと思うのは、どのガンダム作品においても歴史の最後にはターンエーという巨大な壁が立ちふさがっていたのが今日、今さっきドバーっと決壊してまた終わりがなくなったことです。
監督のプロレス的発言だったり、発言撤回があったとしても、もうイメージが自由なのは変わらないので、ターンエー後を作るハードルは下がってしまいましたしすでに楽しさは広がってるように思うんですよ。
この発言を受けて形部一平氏のtwitter上の発言の一部。この発言で概念が取り払われた事が大事。具体的な年数に齟齬などはあるが、監督自身はGレコが後の物語であるという事だと思う。事実、年表については自身に決定権は無いとし、ファン、及びサンライズで決めて貰えればとも発言している。ただ、その際には自分の意図を汲み取った形でGレコの物語を置いて頂ければとも発言していた。
Gレコの評価に見え隠れするライトノベルアニメとの違い
Gレコの評価を見てると絶賛している自分みたいな者の傍らで「話が噛み合っていない」とか「会話が飛ぶ」みたいな理由でよくわからないとの評価を見かける。この評価の違いは何なのだろうと少し考えてみた。その結果、自分の中での「ラノベと文芸の違い」にかなり近いものがあてはなるのではないかと思い、以下に整理してみた。
文芸作品とラノベの括りは曖昧だけど、個人的に思ってるラノベの大きな特徴って「ストーリーラインを会話ベースで進行する」事だと思ってる。なので説明役のキャラクターの配置や、主人公がやたら賢しかったりする少々のお約束事があり、読者もそれを暗黙の了解として受け止めていると思う。
それはアニメになっても基本同じ。けど、尺の関係から会話の分量が制限されるので、その情報の取捨選択と演出で補填する技法と割合でデキの良し悪しの評価が分かれていると思う。
一方、文芸作品は会話よりも情景描写や心理描写の構成要素が多くストーリーの進行を会話に依存しない。言葉と言葉の間に心理描写や情景描写を挟むので話としては崩れないけど、その会話だけを取り出して繋げると全く噛み合わなくなるものもある。
Gレコで言われる「話が噛み合ってない」というのは多分、この違いに近いものがあると考えている。
富野作品の特徴としてよく言われる「一場面における情報量の多さ」というのは文芸作品における情景描写や心理描写にあたるものなのではないかと。キャラクターの会話を追ってラノベ的なアニメを観てきた人にはこの文芸的な手法に慣れていないのでは無いかと思う。
今のアニメの主軸となっている「ラノベのアニメ化作品」が主流となっている現在では知らずのうちに視聴者の視点が固定され画一化さてたきた部分があったのではないか。どちらの表現が優れているという話では無いのだけれども、この画面から読み取る情報量の違いというのを少し意識すれば「良くわからない」と評する人も作品を理解するとっかかりを見出せるのではないかと思う。